2020年 08月 17日
帝国歴5XX年8月某日、帝国東方の海上 「アンジェロさん、起きて下さい。見えてきましたよ。」 船室の外から、いつも世話をしてくれる若い船員が弾んだ声で呼び掛けてくる。目を覚ましてはいたが、何となく動くのが億劫だったので今までベッドから動かずにいた。起き抜けに腹がぐうと鳴る。 甲板に船員が集まっているようで、がやがやとしている。いよいよ大陸が見えたのかと、少し安堵する反面、初めてのパヤンだと言うのに胸が高鳴らないのが複雑である。 のそりとベッドから起き上がり、船室を出ると、船員らが遠眼鏡を巡ってじゃれ合いながら水平線を眺めていた。少し離れた船際の手すりを掴みながら、じっと彼方を睨んでみた所、遥か遠くに豆粒、黒ごま、何か小さいものが微かに見える。なんでえ、ど~~~見ても島じゃねえだろ、あれは、と溢す。すると件の若い船員が寄ってきて、あそこに見えるのはXX岩と言って、あの岩が見えてくるとパヤンまで2日なんですよと喜々の色を満面に教えてくれた。 「ふーん。・・・・・・もう少しなんだな。」 船員らは、その岩をまだ眺めていたいようだった。航海中に度々耳にする話では、パヤンというのは船員らにとって特別な寄港地であるようで、家族への土産、食事に宴会、芸者など得るものが大きい場所だという。勿論私とて文献で幾度となく彼の地の記述を見ているし、知ってはいたものの、道中何かにつけて喜び合う船員らほど明るい気持ちにはなれなかった。私は踵を返して食堂へ向かい、朝食を摂ることにした。 この航海での私の役割は、船上にはなかった。彼の地での間諜こそが私に課せられた仕事であった。骨董品の貿易事業、などという胡散臭い仕事を始めるため、大量のがらくたと共に海を渡り、現地に事務所を構えようとしているアヤシゲな男。船員からはそう見られている。 食堂には烹炊員がおらず、例の岩を見に行っているようだった。室内はうまそうなスパイスの香りが充満していた。 私は寝起きだというのに疲れていて、船室に戻る気にもならず、備え付けのソファーに座り込んだ。 ー*ー*ー 「お前に頼みたい儀がある。」 帝国男爵ブラグデン卿は、私の骨董品納入先として最も大きく、富んだ人物であった。また、一時期この稼業から離れていた私を、再び業界へと手繰り寄せた人間でもある。彼は勇猛な戦士であり聡明な領主であったが、些か老いていた。今の彼をして、幾度となく死線を抜けたであろう巨躯は、その草臥れた精神とは釣り合っていないと感じた。屋敷の慎ましい客間に通され、暫く待つと彼が現れる。久しぶりだなんだとお互いに近況を話すも、何となく空気が重く感じられた。突然に面会を所望されるのも慣れっこではあったが、どことないぎこちなさが我々を包んでいた。会話の途切れた所で男爵が切り出した。 「皇帝陛下に拝眉致してね、恐れ多い事なんだが、直々に、頼まれてしまったんだ。」直臣といえど、そのような事は一度もなく、彼は困惑したらしい。 パヤン国に対する間諜工作の増強が叫ばれているのは耳にしていた。元々、東方諸国への間諜能力は高いとは言えず、国内の動乱が収集せぬ傍からの政策とは、英断か時期尚早か判断が付かなかったが、個人的には早いに越したことはないと思われた。解せないのが、帝国が情報局に任せずに態々この老貴族をして斯様な一大事を命じたかである。 「然るにアンジェロよ。陛下は適任者を儂に紹介せしめたのであろう。」 話の早いを好む皇帝陛下らしい、と呟くとすっと立ち上がり背後の書庫に隠してあったブランデーの瓶を取出し、2つのグラスに注いだ。アンジェロよ、頼まれてくれまいか。そう言ってグラスのひとつを私に差し出すと、彼はそのままもうひとつを飲み干し、深々と椅子に座りなおした。私は呆然としていたが、どうやらこくりと頷いたらしい。老貴族は安堵を表情を浮かべ、今後の手はずの説明を始めていたが、既に私の耳には届いていなかった。彼のメイドが美しい銀盆にチョコレートを載せてやってきたあたりで、いよいよ脳天がくらくらしてきたのであった。 気が付くと馬車の中にいた。 御者によると、間もなくプレクスターに到着するそうで、辺りは真っ暗になっていた。 ー*ー*ー 「なんだと、じゃあお前、パヤンに行くのか。」 私の小さな骨董倉庫で最も高価な全身鎧の兜あたりをパチンと叩き、サッチェルが叫んだ。骨董屋の本業も疎かに釣り道楽を決め込んでいるこの男は、不思議と人に愛される魅力を持ち、何故か仕事もほったらかしているのにも関わらず生活に不自由していないようである。男爵との会見の始終を根掘り葉掘り聞いては、怒ったり悲しんだり頭をひねったりしていた。私は火鉢で小魚を炙りながら、淡々と状況を説明した。何故俺じゃないんだ、ああ、パヤンにはまだ見ぬ大物が、大海の主が、古湖の秘魚が!と大騒ぎしたのち、急に真剣な表情をして、受けるのか、と尋ねてきた。私は黙って頷き、思いを少し語った。 「話を聞いたとき、直感的に、即答しようと思ったのだが、何故か言葉が出なかった。リスクを感じたのか寂しさからか、少し呆然としてしまってね。パヤンには行くつもりだ。風の中に生きるのが自分の道だからな。俺みたいな流れ者が10年も都に留まったのはひとつの天命だろう。だいいち、男爵ひいては皇帝陛下の頼みだ。受ける以外にあるか。」「嘘だな。」「何だと。」「よくわからんが、嘘だなと言っているんだ。」 お前、何も考えていなかったろ。サッチェルの言葉が妙に突き刺さる。別にパヤンに行くのを楽しみにも思っていないし難しい仕事だから固辞したいという気持ちもないだろう、と続ける。ただ抜け殻がフワフワ漂って、パヤンの空に落っこちるだけだ、と。男爵や皇帝さんの言う『適任者』というのは、中身がなくなっちまってる人間の中から、そこそこ仕事をこなしそうな人間を選んでそう言っているだけじゃ~~ないのか、俺はそんな奴のところに遊びにも行かないぞ、と。 長槍で胸から地面まで抉られた兵隊が脳裏に浮かんだ。槍を持つのは誰だか顔がわからなかったが、貫かれた兵隊の顔は自分であった。 ー*ー*ー 「また寝てるんですか、器用な人ですね。」 既に食堂は大勢の船員で埋め尽くされており、2日後に迫ったパヤンへの上陸話で大いに活気づいていた。 「今日は豪勢に、朝からカレーです。早くしないと無くなりますよ。」 複雑な気持ちでも腹は減るもんだ、と苦笑交じりに答え、ようやく私はソファーから立ち上がった。 食べ終わったら、例の岩でも眺めてみるか。 ー*ー*ー #
by angelos_antique
| 2020-08-17 11:43
| 人生
2016年 08月 31日
帝国暦56X年8月某日――、クロド村 「いやあ、アンジェロよ。天気がいいな、今日は絶対に釣れるぞ。」 我々は厳しい日差しの中、沖合に漁船を浮かべていた。まるでごみ箱から見つけて来たような、くしゃくしゃの羊皮紙を広げて友人は大層上機嫌である。羊皮紙には、ミミズがのた打ち回った様な汚い線と、例によって×印がいくつか記されてある。友人の傍らには、一目見ただけで分かる高級そうな釣竿(ダマスクスアングラーロッドⅡスペシャルだそうだ。)が自らの出番を待ち侘びるかのように鎮座している。その元竿部分には「帝国釣りクラブ・プレクスター支部副支部長代理」の文字がデカデカと記されていたが、私はその肩書きが偉いのか偉くないのか分からず、一切その事には触れずにここまでやって来たのだった。 「俺はもう釣りはやらんぞ。もし釣れたら、その場で食うくらいなら、協力してもいい。」 「はっはっは、お前の力は借りん。クロドの海底遺跡に住まうという伝説の怪物が、俺の竿によって釣り上げられるのを、お前の目に焼き付けるのだあッ!!!」 「分かった、分かったよ。ところで、その怪物とやらはどのくらいの大きさなんだ。」 彼は、このくらいか?と両手を広げた。 友人の名はサッチェルと言い、私の骨董屋仲間の一人である。バファル湖の一件(湖の主釣り:未遂に終わった)で釣りに目覚めてしまい、今では帝国釣りクラブとかいう怪しげな団体の役職持ちになっているとのことだ。私の仲間といえば、生命力が強く、例えどんな所でも自分の居場所を確保するようなしぶとい奴らばかりだが、その中でも彼は別格だ。事業が失敗しようと、お得意の上客と喧嘩して取引を失おうと、関係ないのである。ある意味自分を持っている男だ。そして、ある意味心配している私がいるのであった。 暫くして快晴であった天候が、海の向こうからの黒雲に覆われつつあった。凪の中でポツンと竿を垂らしていたサッチェルと仲間たちであったが、変わりつつある空気を感じ、少し身構えた。なんか様子が変じゃないか、と私が発すると、ようやく雰囲気が出てきたなといよいよ楽しそうである。私は船頭に、周囲に気を配ってくれと伝えた。無言でコクリとうなずいたように見えたが、爺さんの船頭はあろうことか鼻ちょうちんを出して寝ていたので、私は天を仰ぎ、自らの運命を呪った。そしてひとしきり嘆いた後に、その頭に手刀をプレゼントしておいた。 「何を遊んでいるんだ、アンジェロ。危ないぞ、騒ぐな。」 サッチェルは水平線のすぐそこまで来ている黒雲も構わず、マイペースである。悠然と竿を垂らす姿は、その道の一流に見えなくもない。光り輝くその道具が拍車を掛けており、もしかしたら本当に実力があるのかもしれないと思った。一度、糸を引き上げた。今回の餌はなんと巨大なスズキである。その竿でその餌を…、お前何をするつもりなんだと言いたかったが、釣り自体の興味が失われていたので、口を挟まなかった。もう一度、キャスティングし海面へ放った途端、猛烈な水飛沫と轟音が辺りに響き渡った。サッチェルの方向を見ると、既に竿を持っていなかった。目線の少し上に、飛翔している彼の竿が見えた。 「俺のダマスクスアングラーロッドⅡスペシャルがああーーーーーッ!!!!」 「5000Gもしたんだぞッ」 そのとき、叫ぶ彼を見下ろすように信じられないくらい巨大なイカが海面から飛び出し滞空していた。大きな両目玉でこちらを捉えている。全身の毛穴からぶわっと冷汗が吹き出てきた。 「船頭ッ!逃げるぞッ!!!」 私の手刀を受けて不貞腐れていた老船頭も目を丸くして腰を抜かしている。私と船頭で慌ててオールを漕ごうと試みるが、時既に遅く、巨大イカは再度海面に激しく飛沫と水柱を立てて消えた。我々の船は、あっという間に巨大な水柱に飲み込まれ転覆した。 「*♯@=☆?¥$+&!!!!!!??????」 海上に投げ出されたばかりか、我々はもう海の中だ。早く海面に出たい。遠くに船が見える。何とか浮かんでいてくれたようだ。サッチェルは?船頭は?泳ぎが得意ではない私だが、足りない酸素の中で周囲を見渡す。船頭はスイスイと海面目指して泳ぎ始めている。サッチェルは―――――、なんと遮二無二に巨大イカの方向に向かっているではないか。なんて奴だ!今度ばかりはあいつも終わりだ、助けない訳にはいかないがこちらも呼吸が限界であったので、一旦海面に出なければいけない。 「$/&*@#〇???!!!!!!」 私は口から猛烈に泡を吹きながら、海面に急いだ。何とか泳ぎ着き、船頭と合流することが出来た。幸いなことに船も近くまで流れ着いてくれた。ぜいぜいしながら呼吸を整えていると、暫く向こうからポコンと人の頭が顔を出した。サッチェルである。 「いたぞ!!!こいつだ!覇王イカだ!!!!」 覇王イカ?こいつが伝説の怪物だというのか、両手くらいの大きさじゃないのか。聞いていないぞ。見たところ、大人4~5人分以上の大きさはある。喜んでいる彼だが、すぐ近くにいるイカの化物から救ってやらねばならない。念の為、と船頭が口を開いた。指を差す先には、船の脇にくくりつけられた銛があった。多少心許ないが、友人の危機を黙って見過ごす訳にはいかない。私は覚悟を決めて、銛を手にした。 「船頭よ、先の事は謝る。協力しよう。どこを狙うべきか。やっぱ目玉か。」 船頭は諦めたような眼差しであったが、黙って頭を指差した。臓器が集中しているとのことだ。私は犬掻きに近い平泳ぎかつ、時には下手なバタフライ状態でサッチェルの方向に向かった。程なく近くまでたどり着き、熱い抱擁を交わした。 「大丈夫か、サッチェル!よく今ので死ななかったな!!」 「俺が死ぬわけないだろう!!今は奴をどうやって食ってやるか考えていたんだ。」 相変わらず暢気な男である。黒い雲が眼前まで近づいており、既に海は荒れ始めていた。 「このままでは怪物に食われるより先に溺れちまう。かといって奴を大人しくせねば、また転覆させられちまう。」 「そんな事は分かっている!よし、やるぞアンジェロ。」 そう叫んだ彼は、再度海中に潜った。3尋くらい潜った所でジタバタとユーモラスな動きをしている。…きっと覇王イカを挑発しているのだろう。彼が捨身で誘き出した所で、イカに銛を突き立てるしかない。先程から向こうの海を泳いでいた怪物は、サッチェルに動きに気づいたようだ。勢いよく彼を目指して突っ込んできた。私も急いで後を追って潜る。イカは目の前だ。 「ぶろろろろら(今だ!!!)」 激しい気泡とともにサッチェルが合図をし、私とイカは激しく交差した。 そこで私は気を失った。 気がつくと、船上に寝ているようだった。乗ってきた船ではない、大きな漁船である。 目を覚まして辺りを見回すと、サッチェルがずぶ濡れの下着で小躍りしている。どうやら助かったみたいだ。 他の漁船に助けられたようで、漁師たちがサッチェルを囲み歓声を上げている。 漸く体を起こせるようになったので、ふらふらと立ち上がり歓喜の輪を覗いてみた。 船の後尾には、巨大なイカが繋げられていた。その目玉と目が合ったところで、私は再び失神したのであった。 #
by angelos_antique
| 2016-08-31 19:30
| 人生
2016年 08月 29日
帝国暦56X年2月某日――、イーグル砦 私は歴史が好きだ。城跡の丘に立ちながら、古代の風を感じるのが最大の趣味と言ってもいいであろう。古跡踏査といえば街道を駆ける足取りも軽くなるものである。過去に思いを馳せ、意を汲取る手続がたまらなく好きなのだ。伝わるものと違う結論に至ることも間々あるのも魅力のひとつだ。我々は過去の事など何一つ分からないのだ。だから考えて、飽きない、といったところが歴史の醍醐味ではないか。 帝国には、今このとき動いている歴史を体感できる舞台がある。帝国防衛の要衝・イーグル砦である。この砦は元々、アルキルッシュ王国が保持していた対帝国最前線基地だ。 つまり、グレスに突きつけられた剣の切先にあたる場所、重要な意味を持つ砦だったのだが、我が帝国がかの王国を滅ぼした60年程前に領有を開始している。帝国暦519年にはアルキルッシュ王国が再興を果たし、翌年、両国に和平条約が締結された。 だが砦は依然、帝国が領有をしている為、突きつけられた刃をそのまま返した格好となり、帝国の軍事的牽制力の安定に一役買っているという事であった。 こうした歴史を持つイーグル砦は、セルガーン国境にある西方の街トランダースなどと並び、帝国内でも警備の厳重な街として知られる。名将ベクターナ=デヒルクの司令部を有し、城内はもとより、城外に至るまで屈強な衛士が通りに目を光らせているのだ。 我々のような冒険者登録を済ませている者でも、おかしな動きをすれば四方から即座に憲兵が飛んできて牢屋行きになるであろう。自身の立ち振舞いや日頃の行いには大きな不安があるにしても、歴史という言葉が躍動するこの地域では、行動のひとつひとつがそのまま情勢に直結する可能性がある。 そのような事を考えながら大通りを抜け、騎馬で城外へと出掛けたのだった。 「観光に来たのか。精が出るな。」 城外に出ていくらも経たない頃、後方から急に呼び掛けるような声がした。この辺りで私を知っている者であれば冒険者か、悪い仲間のどちらかであろう。ゆっくりと馬を返すと、やはり、であった。 馬上から私へ視線を向けていたのは一人の冒険者である。黒塗りの鎧、見るも厳しい面頬。辺り一帯の瘴気を全身に集めたような成りの女が佇んでいる。その跨る軍馬は老賢者の如く、例えるなら千代の世を見届けた太古の巨石のようであった。駆けて動かずとも、十分に人馬の疎通を表しており、私が振り向くと同時にひとつ嘶いて応えた。 馬上の女騎士、面頬を上げた姿は神話の戦女神を思わせる。彼女は威儀をそのままに、一戦所望する、と呟いた。 恐らく賞金を狙いに来たという所だろう。私は二刀を抜き、応じる構えを見せる。件の女刀匠拵の業物である。にやあ、と笑う彼女を遠目で見た。その笑みは咄嗟に消え、早速とばかり馬の腹を蹴ってこちらへと駆け出した。大剣を振りかざし迫り来る、この凄まじい猛突進による初撃。これにどう応じるかが勝負を分けるだろう。一秒の四分の一考えた末、私も愛馬を走らせた。 突撃対突撃では得物の破壊力に勝る相手が有利だろう、私は一撃を交わした上での応撃に賭ける事に決めた。猛然と駆け寄る彼女は、戦鬼か羅刹かと見紛うほどの気迫を放っている。あと十歩。私は二刀を握り直す。次の瞬間、遂に馬上で交差した。大剣が空を裂く真中を直前で避け、二刀で斬りつける、とイメージした。 まさに彼女の大剣が繰り出されんとしている。水平斬りだ。だが、その場でそう決め込んでいたのは、正に戦闘における怠慢であり、私の素人兵法であった。彼女はその裏をかき、水平に薙ぎ払う素振りから、斜めの袈裟斬りへと変化させたのである。これには思わず、攻め手を返し、防がざるを得ない状況となった。鋭く放たれる大剣の一撃。二刀で瞬発的に防ぐも、私は刀身に受けた余りの衝撃に落馬し、半身を強打した。 肩口から地面に落ち、やや脳が揺れる。愛馬も転倒していたものの、幸いなことに無事な様子だ。私は口元に付いた土を舐め、勢いよく立ち上がった。彼女は少し向こうで馬を返し、下馬した。 「おい、何故馬を下りる。勝負は終わっていないぞ。」 思わず声を荒げる私に向かい、二刀の技が見たくなったのだと答えた。そう言われては、お言葉に甘えてというものである。俄然奮起した私は、名刀天衝・国添を掲げ、襲い掛かる猛獣の如く彼女へ詰め寄った。至近に入り、二刀を背中に大きく反らせて振りかぶり、斬りつけた。彼女の方はといえば、突っ立ったまま剣で受けようとしているのか、大剣を眼前に構えているのみだ。 私は構わず、斬りつけた。激しい金属音とともに、大剣に複数のヒビが入る。案外脆いのか?今にも砕け散りそうな大剣を認め、不思議な感覚に陥った。なにかおかしい、と全身の細胞が訴えている。動物的感覚としか言いようがない知覚を覚えた。 後ろへ跳んで距離を取ろうとした瞬間、砕けかかった大剣で猛烈な突きが繰り出された。死ぬ。脳裏に文字が、ひょう、と浮かびすぐに消えた。間一髪で身を交わした。斬撃のあと、すぐに動き出したのが良かった。空間に穴が開きそうな程の峻烈な突きである。いくら魔法の鎧であろうとも唯では済まないであろう。しかも、あの砕けかかった大剣でよくも。彼女は、不思議がる私に気づき、俄かに口を開いた。 「魔法の剣とでも言いたいか。何度でも撃ってこい。」 再生能力、ふとその剣を見ると、先程走った刀身のヒビがみるみるうちに修復していく。欠けた部分が、残った刀身から覆われて、すぐに元通りとなってしまった。魔法の剣、自己再生の剣、サイブレムである。長く骨董商で暮らしてきた私も耳には聞いていたものの、眼前でその効果を目にして肝を潰した。 切っ先を返すと最上段に構え、私を見据えている。その目には真っ二つとなった私の姿が見えているのだろう。負けじと、左右に垂らした二刀を彼女に向けて掲げた。ゆら、と幻惑するような動作でじりじりと迫る。あと、数歩、というところだった。 「お預けのようだ。」 彼女はふと呟き得物を納めた。何してやがんでい!と脳裏に浮かび「何し」と言い掛けた所で突然、大地が揺れに揺れた。砦の城門から、十数名の騎士が門外へと打って出たのだった。帝国正規騎兵たちは、一路北東を目指して駆け抜けていった 。大方、魔獣討伐や斥候部隊の排斥といった任務であろう。帝国北辺の地、イーグル砦では珍しくない事だ。しかしその騎兵隊の指揮官が、あのベクターナ=デヒルクであった事は私を十分に驚かせるに足る出来事であった。飄々とした男と聞いていたが、騎兵隊を従えて軍馬を駆けさせる姿は正に一角の将軍そのものであった。巷間の婦女子が嬌声を上げるのも無理ない事だ。 近くで騎兵隊の様子を見ていた女黒騎士は、好戦的な眼差しで彼らの駆け行く姿を見つめている。ふと目が合うと、低い声で、興が冷めた、と言った。おもむろに面頬を下げ、その愛馬に騎乗して去る素振りを見せたところでこちらから声を掛けた。 「次会う迄に賞金は倍になっているはずだ。そして、次は分けにはせんぞ。」 「そんな事より、監獄で飲みたい酒を考えておけ。」 彼女はさらばだ、と馬を走らせすぐに見えなくなった。気づけば夕暮れが辺りを包み、砦の其処彼処には篝火が灯され始めていた。門が閉じる前に入城しなくては、こんな物騒な所で野宿とは堪らない。私は大急ぎで跳ね橋を渡ると、すぐさま今夜の宿にありつき、ようやく一息付いたのである。 #
by angelos_antique
| 2016-08-29 00:41
| 人生
2015年 02月 01日
帝国暦56X年2月某日、プレクスター鍛冶屋通り 「まあ、よくいらしたわね。外は寒いけれど、中は暖かいわよ。」 扉の内側から炉の熱気がもわっ、と流れ、外気と混ざる。敷居を跨ぐところでようやく全身が暖気に覆われ一心地ついた。二日酔いの体を引きずり、彼女の工房に辿り着いたのは11時を回った頃である。約束の時間は朝10時。つまり酔いに任せての大寝坊であった。夕べ彼女と酒場で飲み交わし、翌日工房への訪問を取り付けたのだったが、これである。怒っているだろうな、と想像してみても仕方がないので先を急ぐ。普段であれば愛馬で遠乗りを楽しみながら出掛けるのが常であるが、この日ばかりは帝都からの馬車でプレクスターへと急いだ。早くしてくれ、まだ着かないのか、叫び声を後頭部に受けながら、御者は迷惑そうな顔で馬を走らせた。車内で走る訳にもいかないので、吼えた後はぐったりと背もたれに体を預けて目を閉じた。頭に浮かぶのは夕べのボトルの空き瓶と、彼女の美しい横顔。(―――お客サン着いたヨォ)うつらうつらとしていたらしく、御者の声で目覚めると馬車は停車場に着いていた。工房までの数十メートルを一気に駆け抜け、彼女の待つ工房へ向かう。飛び込んで、まずは謝らねえと、そう考えながらついに工房のドアを開こうと瞬間、到着を知っていたかのようにドアが開いた。 「向こうで馬が嘶いていたでしょ、あれは帝都からの馬車馬の鳴き声なの。だからそろそろかな、って。」 彼女は何気ない日常内でも鋭さを感じさせる部分があり、単純な俺の心などは奥底まで見通しているのではないかと思う。感受性が高いのだろう、物事によく気づく好人物である。いやあ、そのう、飲み過ぎてしまって、ともじもじしながら謝る私を笑いながら工房内へ招き入れた。鍛冶仕事はしていなかったが、炉が点いていた。どうしたんだい、炭が勿体無いぞと私が見咎めると、アンジェロさんが久しぶりに見たいと思って点けて置いたのよ、と言う。確かに懐かしい感覚であった。薄暗くした室内にぼんやりと光る炉を見つめていると、暫く閉めたきりの我が工房を思った。 「夕べは沢山飲んじゃったわね。もう、遅れてくると思ったわ。」 兎にも角にも面目なさで一杯となってしまったが、まず帝都で帰りがけに買ったチョコレートケーキ(オレンジソース?が掛かっているという逸品?だが、オトコには良く分からなかった)を渡したところで、重ねて遅刻を詫びた。 酒場では色々な話をした。ちょっと、吐き出したかったのよねえ、との事で始まった話は、彼女の生い立ちから大陸渡航までの壮絶な内容のものであった。私はその話を聞き入り、すぐには何と声を掛けたらよいのか分からずに黙々と酒を飲んだ。その結果が今日の遅刻である。 「私ねえ、鬼なのよ。」 帝都のいつもの酒場。カウンターはン十年分の酔客による摩擦で黒光りしている。その上に片肘を乗せ、私の目玉と心臓を鷲掴みにするような目線を差し向けながら、彼女は妖艶に微笑んだ。彼女は帝国人ではなかった。元々、東方某国から来訪したというが具体的な国名は定かではない。東方の大国と言えばパヤンであるがどうやらそこでもないらしい。生国からアシュクライズまでの道程は緩やかでなかったが、ある意味強かに乗り越えてきたと彼女は語る。 鬼なものか、どう見ても天女だろう、と言うと彼女は笑って否定した。天女ではないかもしれないけど、悪女ではあるわね、とワイングラスを傾けながら目を細めて呟く。 「どうしてもそうは見えないんだけどなあ。」 頭を掻きながら応じたあたりでアルコールのせいか脳天がぐるぐるしてきた。夕方に酒場で出会ってから、既に6時間は経過している。私が情けないことにふらふらしている一方で、彼女は平気の平左の様子である。人に飲ませるのが上手いだけでなく自分も大量に飲む。それでいての佇まい、酒豪とはこの事であろう。 「また、明日会いましょ、もっと話したいわ。」 明日の朝10時頃に待っているわよ、彼女が少し体をくねらせて私の髭面を下から覗き込む。白い胸元の奥に珠のような汗粒が光っていたのを目撃したあと、ほとんど何を話したか覚えていない。停車場で馬鹿話をして盛り上がっている若い御者にチップを渡し、女向けの土産になるようなものを探して来いと命じ、近場の宿で寝た。朝起きると枕元になんだか甘い匂いのするお菓子?と律儀にも少しばかりの釣銭が転がっていたのだった。 以上が昨夜の出来事である。 工房内は窓という窓を閉め切っており、風に揺れては火花を飛ばす、炉の小さなあかりだけが部屋を照らすのみであった。私の工房は手入れも何もしていない。明日から店を再開しろといわれても難しい状況であるが、流石、現役鍛冶職人の工房は機能美の集成を思わせる。例えば原始宗教の礼拝所のような、厳かな印象すら感じられた。 「座ったら、アンジェロさん。お酒はもういいかしら。」 振り返ると、両手にエールを持った彼女が立っていた。瓶の首を親指と人差し指でつまむようにして私に見せ付けている。こうして見るとやっぱり綺麗だと思った。何処ぞの国の後宮の女官はこのような風情であろうか、姿といい雰囲気といい少し普通ではない。くらくらした頭で考えたが、断ることにした。 「今日は、やめておくよ」 本音だったが、あとで一瓶だけ、と伝えて、裏へしまい込むのは牽制をしておいた。 「折角、アンジェロさんに来て頂いたから、品評でもしてもらおうかしら。」 エールの瓶の代わりに倉庫から取り出したのは、刀袋に収められた一振りの太刀であった。二尺半程度の長さで、刀袋はかなりの使用感がある。問うと、彼女が打ったものだという。それを受け取って袋から取り出し、鞘から抜くと白光がすーっと伸びたように輝き、刀身が姿を現した。波打つ刃紋はゆっくりと広がる海原の如く、蛾眉の弧を描くような反りは芸術的といってよい程であり、私は静かに息を飲んだ。世に言う、業物である。 「すごい、何でも切れそうだ。」 我ながら子供のような言い様である。曲りなりとはいえ骨董商を営む私の品評としては相応しくないところだが、そう言わせるだけの高揚感をこの刀は発している。彼女は刀を受け取り、片手で宙に掲げた。 「ふふっ、ありがと。嬉しいわ。」 言い終わると同時に、掲げた抜き身を斜めに滑らす。空間を丸ごと断ち切るような、殺気すら感じさせない一刀である。私は身を動かすことが出来ず、たじろいだままその場で静止していた。一呼吸おいた所で地面に落ちてきたのは、大きな蛾であった。3匹重なり合って真っ二つになっている。明らかに、並みの兵法ではない。いくらか刀剣の心得を持つ私が圧倒されるような太刀筋である。脳裏に浮かぶのは、なで斬りに斬られ、胴と膝が離れて落ちて行く自分だった。数秒、放心していたところで、切れ味もいいのよ、と彼女は言った。さっきまでの妖艶な仕草がウソだったかのような、凍てつく程の眼光に真正面から貫かれるのを感じる。笑みは、消えていた。首筋につと冷や汗が流れる。恥ずかしながらやっと動けるようになった私は、どぎまぎしながらも彼女に刀袋と鞘を渡し、近くにあった椅子に座り込んだ。 「師匠がいたの、私のせいで亡くなっちゃったんだけど。」 彼女は生国で刀打ちを学んだ。師匠というのは刀鍛冶、腕のある刀匠であったという。父母は幼い頃に亡くし、師に育てられた。間近で鍛冶仕事を見ているうちに、弟子として鍛冶仕事を覚えていったという。 その国は女が刀に触れるということは絶対の禁忌であった。禁忌を犯してでも刀工秘伝を授けるといった覚悟を師は持っていたようで、彼女は口伝秘書の類こそ残されなかったものの、師の技能を隣から存分に見ることで、若くしてその技を体得した。あるとき、ふとした脇の甘さから官憲に素性が露見し、師ともども国の激しい追及を受けるようになると、彼女は師に促され命からがらの体で国外へ脱出した。留まった師は知らぬ存ぜぬを突き通したが、最終的に拘束され命を落としたとのことだった。肝心の女が見当たらないことに気づいた官憲は、国の意地にかけてとばかり苛烈な捜索を始め、東方の大小諸国に至るまで追手を這わせたという。 「どうすればいいか分からなかった。ただ、逃げたわ。何も考えられなかった。」 いくつかの国を渡り歩いた末、ふと立ち止まって師を思うとき、自分のせいだ、もう後を追って死のうと思い詰めた。実際に何度か試みたこともあったが、死に切れなかった。どこへ流れるとも分からない当てのない逃亡を続ける中、師の残した技術を更に洗練させ、追求していきたい思いが立ち上がり、それまでとうってかわって生きる道を模索し始める。自分のせいで殺された師を供養する、その手段としての技能を極めたい、その一心が彼女を突き動かした。 「生きる為には何でもしてしまう自分に気づいたわ。簡単な事って無いわね。」 呟きながら髪をかき上げる彼女は相変わらず、美しかった。艶のある黒い長髪がなまめかしい。若くして逃げる人生を歩んだ彼女には、旅を続けるのも一筋縄ではいかず様々な苦労を浴び続けた。まして女の一人旅である。例えば、若く見目麗しい彼女は、浪人に力づくで乱暴される事もあった。最初は恐怖したものの、裏を返して、生きる為に彼らを利用することを思いつく強かさを手に入れた。襲われる前に口車に乗せて上手に”活用”する、行為中に殺害して金品を手に入れるような事までもした。その頃から、生きる旅を更なる逃亡の積み重ねに変えてしまっている自分に気づき呆然としたところで、偶然にアシュクライズ大陸の噂を耳にした。帝国グレスでは多種多様な目的や様々な素性を持つ冒険者たちが逗留し、自由なコミュニティを形成していると、道行く隊商から聞いた。グレスに行けば鍛冶を続けられるかもしれない、そう考えて一路帝国を目指した、というのが彼女の物語である。 「帝国はいいわね。自由な風が吹いているわ。」 一旦はしまいかけたエールを再び出して、二人で瓶のまま飲み始める。そういえば彼女と出会って数年になるが、お互いの話はしたことがない。話の続きを少ししたり、私の打ち明け話にも付き合ってもらった。ふと気づくと夕暮れになっており、昼食を摂っていない事に気づくと私の腹が丁度良くグウと鳴った。目を合わせて笑いあう。おなかが空いているでしょ、プレクスターにも美味しいご飯屋さんがあるのよ、とすすめてくれたが固辞して暇を告げる。 自由を求めて彼女は帝国を目指した。きっと彼女なら亡き師の技を高みに引き上げることだろう。帝国は自由だ、と彼女は言った。だからこその帝国だと私は思う。我々のような人種が研鑽を続けられる土壌があるのは一般的には稀なことである。グレスだから、彼女は来たのだ。今夜の宿を目指して歩いていると、鍛冶屋通りの方々から槌音が聞こえる。懐かしい感覚の中、一歩一歩踏みしめて街路を進んだ #
by angelos_antique
| 2015-02-01 21:33
| 人生
2015年 01月 20日
帝国歴56X年1月某日、帝都郊外―――。 「さて、如何にして昇ったものか。」 帝都から小一時間、よりは歩いただろうか。葦の生い茂る草原を掻き分け、薙ぎ払い、踏み倒して足腰がぎしぎしと軋む中、漸く辿り着いたのはとある魔術師の住居、帝都からもよく見える「例の塔」であった。本来ならば研究者である私であったが、道楽の一環として行っている冒険者同士の決闘の間で、偶々、この塔の持ち主――私に比しては年端も行かない少女である――との知己を得た。彼女とは出会ってから一年程になるが、巷間で噂の、例の塔への招待をねだったところ、これを快諾して貰い、いそいそと出掛けてきたものである。 歩いて、歩いて、歩き倒したつもりであった。塔は眼前に迫るようであるのに、一向に塔の麓に辿り着かない。草を踏み、沼を突き抜けて、いくら歩いただろう。嘗ては帝国中を徒歩で駆けずり回り、数多の宝物を探し尽くして世に送り出した私も、近頃は草臥れたものである。まさか、何かの魔術に掛けられているのかもしれん、そう思ったところでようやく麓が姿を現した。 まず驚いたのが塔の高さである。100m以上はあるだろうと見られる、堅牢かつ頑強な塔を、足元から見上げた。太陽に遮られ最上階までは目視できなかったが、思わず嘆息した。呆れが宙返りするというのはこの事であろう。そして、これを上るのはここまで来ることにも増して辛苦に違いない。私はここで一念発起し、最上階まで駆け上がり、彼女に茶でも、いいや、上等なウイスキーでも出して貰おう、そう考えて疲れをぐっと堪え、この異常な高さの塔に挑戦しようと決意した。 しかし、どう探しても入り口がない。普通、当たり前に入り口があり、中に螺旋状の階段がある。それを、ぐる、ぐる、ぐると上り詰めて最上階、天上の見晴らしを得る、というのが普通ではないか。周囲を一周してみたが入り口が見当たらず、どさっと腰を下ろした。足腰も立たず途方に暮れていたが、そうもしていられない。きっと隠し扉かなにかがあるに違いない。そう考えて、塔の壁の一部を軽くノックした、その矢先、「ッ!!!??のおおッ」ノックした右拳から脳天、爪先に掛けて激しく痺れた。弾みで後ろに吹っ飛び、丁度、後転のように引っくり返って止まった。眼をぱちくりしながら右拳を見ると、何やら白い煙があがって、すぐ消えた。 再び塔の壁を見ると、やや湿っている。経験的に聖水が染み出ていると分かった。過去にとある遺跡にて似たような仕掛けを見たことがあったからだ。邪な考えなどなかったが、こうして聖水に触れて飛び上がるほど痺れるというのは、きっと脳内の何処かに邪念があったからだろう。こりゃあもう空でも飛んで天辺に上るしかねえな、などと考えていたところで、急に上から頑丈そうなロープが垂れて来た。ふと空を見上げる。太陽が眩しかったが、空を飛び回りながら手をじたばたさせるように、そのロープの端を持って振り回す少女がいた。 ひさしぶり、遠目で唇の動きを追うも声は届かない。自慢の馬鹿でかい声で、さっさと上げてくれ、心臓が止まって死ぬところだったぞ、と叫んだ。彼女はロープを携えたまますーっと、最上階へと入っていった。これで上れというのか、まさかと思いつつロープを引っ張ると、頑丈に固定したようではある。先程の転倒で気力喪失していたが、ここまで来ては引けぬと先祖伝来の頑固さがむくむくと立ち上がり、遂に私はロープに手を掛け、聖水が体に付かないよう、慎重に塔を上り始めたのだった。どうやら私の身体は、聖水に触れれば痺れてしまうらしい。手足が触れないように靴裏だけを塔に付け、そろ、そろ、と屁っ放り腰になりながらロープを伝って上る。これでは筋力がいくらあっても足りない。気合を入れる。体力の限界、気力も限界、そう思われたが、それでも15mほど上ることが出来た。ふう、と額の汗を拭おうとし片手を離した瞬間、びゅうと風に煽られ、もう片方の手も放してしまい、そのまま落ちた。 「アンジェロさん、いきなり落ちちゃうんだもん。」 一先ずどうぞと、茶を入れてくれた彼女が心配そうに呟いた。ロープを離して落ちたところを転移の術を使い受け止めた、とか何とか、私には想像のつかない技で助けてくれたらしい。私はというと落下時に意識を失っていたので、落ち始める瞬間に見えた眩しい光と、塔と、周りの草原が回転している光景が最後の記憶であった。「そりゃあ、くたくただし、ここを上るッて言ったら、もう。」起き上がって見回すと、外から見たとおりの大きな居住空間広がっており、私はその中にある木のベンチで横になっていた。 「コノタワケガ!!!」 怒声がしたので慌てて振り返ると、怪しげな杖を持った彼女が、口をぱくぱくさせて微笑んでいた。彼女の声ではない、と、不思議に思っていると、遂に堪えきれなくなった彼女が笑い出した。この杖ね、しゃべるの、今のは皇帝陛下のものまねだよ、と腹を抱えて涙目になりながら教えてくれた。喋る杖である。私は、感嘆と驚愕が入り混じった顔をしていただろう。まじまじと杖を見たが、小難しい顔をした老人、のような木の模様があるような、そんな気もしないでもなかった。「あんまり難しい顔して睨んでいると、古代魔術でやられちゃうよ。」杖は何やらぶつぶつと呪文を唱えて始めているようだった。慌ててベンチに寝転び、鼾を掻いて寝たふりをした。 「でもここまで来てくれて嬉しいな、なかなかお客さんは来ないから。」彼女は言ったが、私は当たり前だという言葉を飲み込んで、またとない機会を活かすべく塔の内部を色々見せてくれるよう頼んだ。もちろん、と明るく応えてくれた彼女は、私の手を引っ張るかのように塔の様々な部屋や仕掛けを見せてくれた。十層構造からなる高塔は、内部がほとんど空洞である。それぞれの階が大きい空間になっており、ほとんど仕切りがないため開けっ広げで、見方によってはひどく殺風景な景観であった。ある階は柱や壁は非常に堅牢・頑丈なつくりとなっていたが、魔術の試験用途として用いる実験棟だそうで、内部のあちこちに爆発痕が見られた。轟炎の魔術などでも試したのだろう、構造自体に問題はないように思えたが、痕跡は生々しいほどに残り、厳しい修練を想像させるには十分なものだった。今はど真ん中の実験台のようなものに水晶玉がひとつ載っている。何かの魔術試験に用いるのだろうか。興味深く眺めているところ彼女に声を掛けられ、次の階へと向かった。 階間の昇降も不思議な魔術が使われており、私の度肝を抜いた。一枚の石床が、空中を飛んで我々を上下に運んでくれるのだ。下の階に行くという彼女に促されて、桃色に輝く石床に足を乗せる。気分がまだ落ち着いていなかったのもあり、そーっと爪先を当てて様子を伺ってみる。反応はない。少し安堵したので、そこから爪先をつける、つけない、つける、とリズミカルに足でつついてみた。おい、動かねえぞ、悪態をつきながら振り向いた瞬間、かなりの速さで、音を立てて石床が下の階に滑るように移動した。私は思い切りバランスを崩し尻餅を突きそうになったが、突く先がないのではどうしようもない。危うくそのまま落下しかけたが――塔に着いて二度目の事である――すんでのところで石床の端に中指と薬指が引っ掛かり、ぷらぷらとしながらも着地先の床が近づいたところで飛び降りた。毎度毎度、仕掛けの度に素直に驚く私は、彼女の絶好の遊び相手となったに違いない。私は驚きつかれた体と頭を引っ張りながら、身を起こした。 だだっぴろい空間にいくつかの台座があった。魔術発動体と思しき装具品類、冒険用の鞄や被服。いずれの品とて使い込まれながらも、丁寧に整頓されており、そのものに対する愛着を感じるものであった。尋ねると、帝都を去った冒険者との思い出の品だという。懐かしんでいるのか、彼女はやや切なげな眼差しを見せながら、台座の品をひとつひとつ眺めていた。帝都の冒険者といえば流浪の類が多く、一所に収まる者もいるとは言え、やがては更なる冒険を目指して去って行く。帝国人の私であっても、きっとそうだろうし、彼女もきっとそうだ。ただし、去るものに残るものの気持ちは分からないものだ。私は再び最上階の居住部に通された。 「いやあ、こんなになってんだなあ。俺の家とは大違いだ。」 縞猫の谷に居を構える私であるが、その狭さには閉口していた。住宅管理局の受付係が心配していたのを思い出す。何せ、ドアを開けたら壁なんだからよ、前世はきっとカレイかヒラメなんだろうなあ、と冗談を言うと彼女は大笑いして喜んだ。 「すごいでしょ、ここからラグーンも見えるし、フェムト鉱山の方もよく見えるよ。」 「ナントカと煙は高いところが好き、って言うしな。」 「あれ、アンジェロさんそれ冗談かしら。せっかく用意してあげたのに、ひどい!」 彼女はどこからか私の大好物、ウイスキーの瓶を取り出してきて目の前に置いた。これは失敬、有難く頂戴するよ、と瓶を受け取りグラスに少し注ぐ。かなり強いピート香が漂っており、強いフレーバーを好む私はこの手のウイスキーに目がない。しかし彼女は若く、どこでこのような品を知ったのか。少し考えていたところで酒場のマスターの顔が目に浮かび勝手に得心した。味もよく、先程までの疲れが吹き飛ぶ心地であった。 「えへへ、喜んでくれた。ホームパーティーとは行かないけど、このくらいならいつでも。」 「そうだな、もう少し上りやすくしてもらえれば毎週でも来るよ。……そういやさ。」 魔術実験室での光景を思い出し、どのような実験をしているんだい、と聞いた。 「あれはね、遠見の術。水晶玉があったでしょ、あれを使って実験しているんだよ。」 「そりゃあ大層な事だ。こんなに高い塔の上からなら、何でも見渡せるんだろう。」 「遠くは見えるよ。でももっと遠くが見たいの。それと、過去と未来はここからでも見えないよ。」 人を探しているんだ。彼女はポツリと言うと、すくっと立ち上がり窓際へと歩み寄った。 「なかなか見つからないの。」 やや日が落ちている。草原の向こうに見える山々に夕日が沈んでいくのを見ているようだった。私はなんと声を掛けたらよいか分からなかったが、彼女の隣に進み、共にしばらく夕日を眺めた。取り留めのない冗談や日常の笑い話をしていると、すぐに日が暮れあっという間に暗くなった。 「今日は来てくれてありがとう。女の子の家に長居するなんてアンジェロさん、やるね~。」 ギクッ、女の子だって事、忘れていたよ、と普段の調子で返し、笑いあう。帰りは彼女の魔術で地面まで転移させてもらった。またロープが使えなくて残念だ、と軽口を叩き礼をする。 「ウイスキーがうまかったけど、あれも魔術か。」 「あれは美味しいウイスキーなの。また来てね。」 草原に向かって歩き出す。見上げた星空が綺麗だった。振り向いて塔を見ると、闇にきらめきながら飛び回り、塔の最上階に向かう彼女が見える。手を振り、家路に着いた。 #
by angelos_antique
| 2015-01-20 18:25
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